平成24520

 

 CDから愛唱歌が流れている。青春時代のメロデイーである。そういえばもう50年近くの歳月が経過した。

あの頃、命は永遠の様に思っていたが見渡せばあの頃の友はもういない。何処へ行ってしまったのか。

再び会う日はない。古里の山河はあの当時と変わっていないのに、、、。

 何の言葉もなく忽然といなくなってしまう。

むなしい。このむなしさなんなのか。創造の宇宙はなぜ人間などと云う物を造り出したのか。

人々が制限された命の中で生かされている姿が愛しい。

もう二度と命ある物として生まれて来たくない。

        石や川や海のほうがいい。普遍的で永遠だから愛しい人々との別れの辛さなど知らないですむから。

いじめ

平成2567

昨年1215日、田辺市内の中学校1年生が自殺未遂事故を起こして6ヶ月が経過した。彼は体に大きなダメージを受けて現代も病気療養中で回復の見通しはたっていない。

彼の自傷行為に対して学校関係者は「彼の家庭に問題がある」との見解を取り、教育委員会や市議会に伝えていたふしがある。

しかし最近になって、今春その中学校を卒業した女性徒が自身の「いじめ」について作文を書いていた事が判明した。そこには克明に中学校でのいじめの実態が書かれていた。私は何度も何度も読み返し涙してしまった。あまりにも学校の先生方の理不尽な対応のオンパレードだったからである。

いじめに遭っていた生徒の叫び、虚しさそして葛藤が繰り返される中、女生徒はお母さんと一緒に学校の先生方に訴えるがなかなか取り上げてくれません。寧ろ「クレーマ」的扱いをされてしまいます。

さらに校長先生は保護者との懇談会の席上「子供の話を鵜呑みにしないで!」「子供の話は、話半分に聞いといた方がいい」そして女生徒が先生に「いじめられている他の子供も助けてあげてと直訴してもSOS送らない子にはいわない(助けないの意味)」などなどベールに包まれている学校内の様子が克明に書かれていた。

そして女生徒は鉄道自殺未遂を起した。これでは生徒が挫折して無気力になって、死を選ぶ選択をしたとしてもやむを得ない。運のいい子供だけが生き延びる事が出来るがそうでない子供は死を選ぶか精神的に大きなダメージを受けるであろう事は推測が付く。

学校は平素「命を大切にする教育」「いじめを許さない学校」などそれらしい標語を作り学校運営の基本方針に掲げているが、現実との乖離に言葉もない。更に不思議なのは学校には大勢の先生方がいるにも拘わらず皆見て見ぬ振りをしていたのか?又は加担者だったからなのか?いずれにしても黙り込んでしまい言葉が聞こえない。沢山の子供達が助けを求め、叫んでいるのにである。