庄川―久木線の沿革と経過

31.02.05

 

今から40年程前に白浜町と日置川町による白浜=久木線を建設する為の協議会が作られました。

私がその存在を正式に知る事になったのは白浜町と日置川町の合併協議会が設立され両町の課題が提出されてからです。当時、先輩の前(まえ)日置川町長から申し送り事項として口頭ですが伝えられました。その内容は「具体的にはほとんど進んでいないが、引き続いて取り組んでほしい」との事でありました。

合併後の新白浜町の町長として就任した私は早速職員と協議を始め当時の木村和歌山県知事や、県土整備部長に要望を再三に亘って伝えています。

当時、政府からキャリアで出向していた県土整備部長(土木部の最高責任者)は、私に対して「立谷町長さん、この事業は100億円要るんですよ。貴方に100億円渡したら白浜の事業の優先度は、この事業が本当に一番上ですか?他の事に使うんじゃないですか!」とまで言われた事もありました。こうした厳しい交渉が続きましたが、8年前に県議会議員に就任後、県議会の壇上で今度は議員として一般質問をするとともに県当局に事業の推進を求めました。

上記のような積み上げの結果、当局から「白浜(庄川)―久木線の事業化に取り組むことにします。ただ、現在庄川地区の方々から告訴されていて今、裁判中です。年末には判決が確定しますので、それまで公表は待って下さい。」との申し出があり、私はその約束を守って公表を控えてまいりました。

そして、その後事業化が始まりました。従って県議会議員で私だけが法線の書かれている当時の図面を持っています。

完成まであと5年ほどの年月が必要ですが、今後共責任を持って見届けます。